2013年2月28日木曜日

クレジットカード奪還

いや~いろいろありすぎてすごい体験したな~と我ながら思うのですが、

現実問題、クレジットカードの存在を。。。

マチュピチュ観光してスムーズにクスコに戻って、

最短火曜の夕方に銀行に行こうと思っていたら、

あれよあれよとアクシデントに巻き込まれまくりで木曜になっていました。

9時に銀行に行き、案内係りに事情説明。

誰かに確認して戻ってきて、一言。

『そのカードはないです。』

いやいいや、困ります。

土曜の夜に、吸い込まれた一報はしてあるから、保管しているだろうと勝手に思っていました。

もう一度行員と話して来たが、

『48時間経って、持ち主が現れなければ、破棄する』のような事を言われたのです。

管理的には、確かにと納得しそうになるも、なんでなのと怒りあらわに、詰め寄るも、

スペイン語全く話せない。英語での細かい説明も出来ない。悪いのは月曜に行かなかった自分。と三重苦で。。。

諦めようかーと。。。

でも、最後に日本の銀行会社に相談してみようと。


宿に帰って、スカイプするも、スカイプからは、電話できない番号らしく、街のネットカフェ屋で電話を借りて問い合わせ。

日本語での対応で、説明はスムーズ。が、しかし、帰ってくる言葉は、

停止に関する手続きのみで、その銀行に掛け合うような事は、できかねます。と。悲しい現実です。。。

この数日悪用されたかを確認すると、使われた形跡はないとの事で一安心。

なぜか、ここで停止手続きをせずに電話を切りました。



これからの手順とか、再発行してから家族に送ってもらうとか考えていたのですが、

もう夕方になってて、ご飯を食べよう。とゆう事で

手持ちの現金ないし、ATM行ってお金を引き出そうと、歩いていたら

偶然同じ銀行の横のATMで行列待ちだったので、

朝とは違う人に事情説明してみたら。。。

待たされ。。。

カードの種類とか、聞かれ、

パスポート見せてとか。。。

『えっ』

こ、これは、イケルかも。。。

と思ったらあっさり、帰ってきました。。。

朝の話はなんだったのか!謝罪の言葉は?


と思ってたら、妻が。。。

朝の案内係に詰め寄るのです。どーなってるの?!と。


しかし、ここは南米時間。


『普通は、破棄されてたのに、あなたの場合は残ってて、幸運ですね。

私は、上司からの説明をあなたに伝えただけで私には非がない。。。』

のような事を言ってるようで、俗に言う、謝罪がないのです。

いいわけないでしょうー。

旅行者にとってクレジットカードは大事なツール。




この感情を言葉で。。。とゆうかスペイン語無理、英語でも説明無理な自分にも怒ってしまい相手に、日本語であーだこーだと言ってしまいました。



日本だったら、、、と考えてしまうのですが、



ここはペルー。郷に入れば郷に従えということでしょう。



ナニハトモアレ、カードが無事に回収できて本当によかったです。



旅の恥は掻き捨てですね!







みなさん、海外でのキャッシングは、何が起こるかわからないので、

銀行併設のATMで営業時間内でのご利用を強くおススメします。



めでたしめでたし                                     ろっぺいた

2013年2月27日水曜日

マチュピチュからの帰り道2

 
 
 

朝、自然と目が覚めました。やはり、興奮で寝付けなかったようです。

昨日の残りを食べ、暑くならないうちに出発しました。

もちろん、一昨夜と昨日の筋肉痛で足が痛いです。

ここから、1~2時間歩いたら、サンタマリアの村だそうです。

ロシア人と話しながらのんびり歩きます。

昨日と違い、道路なので、何も心配はいりません。

彼は、3ヶ月の旅中で、どこが良かったとか情報交換したり

前、何の仕事してたのとかお互いに話したりで、盛り上がりました。

途中で、車が通ったので、ヒッチハイクしてみたら、乗せてくれました。

荷台にみんなで乗車。笑




5分ほどで、仕事場に着いたようで、そこで降り、また歩き出します。

 鳥のさえずりなど聞きながら進んでいると、

看板が出てきました。


無事に、サンタマリアに戻って来ました。

中心の広場で、乗り合いTAXIで一緒にサンタテレサに向かいます。


 出発して、すぐに、車が止まりました。

どこでも土砂崩れです。

もう驚きません。

作業中だったので安心です。

ちょっと待っただけで、開通しました。

無事にサンタマリアに着きました。11時前でした。

クスコ行きバスを見ると、さっき出発したみたいで、次は14時で、待つしかないです。

暑くて、風もなく、ただ、ただ、ぼぉーっと待ってました。

待ってても仕方ないとバスのチケット買ったら、

白タクが、来て、クスコ行きの乗客を募っています。

ロシア人が、クスコに向けて出発となり、お互いの旅の安全を祈りお別れです。


バスのチケット返金をしてくれないので、仕方ないです。


さらにしばらくすると乗り合いTAXIが来て、外人が降りてきました。

昨日のカップルで、向こうもこちら気づき、昨日のあれからをお互いに話しました。

水力発電所では、夜になっても何も起こらず、アグアスカリエンテに戻らず、一夜を過ごし、

今朝になり、

壊れた橋辺りにワイヤーが掛けられ、救助隊さながら、救出者第一号になって対岸に渡れたそうです。

すごいな~!ペルー政府?の対応

本当の復旧はいつになるのでしょうね?


僕らの事も話し、やっぱり驚かれました。苦笑

みんな元気で何よりです。

また、しばらくして、白タクシーが立ち寄り、カップル達がクスコに向かうのを見送るのでした。


で、ぞくぞくと、救出者であろう外人達が来ました。

遅れたバスが来て、無事に乗り込みクスコに向かうのです。


あんなに暑かったのに峠では雨です。

そして、バスが止まりました。

見ると、何台も先に車が立ち往生しているのです。

あぁー封鎖だなと思い、歩いて向かうと

 

やはりかー。。。

とゆうか、先に向かったカップルが乗った車も先頭の方に居たので

ロシア人だけが抜けれたようです。

自然には敵いません。

ただ、ただ、待つのみです。

もう、ペルーの雨季は川の氾濫と土砂崩れとのイタチゴッコのようです。

日本の土木整備は一級ですね。

2時間ほど待ったかで、無事に開通し、夜遅く、クスコの街に戻れたのでした~。


めでたしめでたし。と、言いたいところですが、

クレジットカード吸い込みの件がまだあるので、続くのです。。。


                                          ろっぺいた

2013年2月26日火曜日

マチュピチュからの帰り道

朝、筋肉痛で目が覚めました。

今日、クスコに戻ろうと、のんびりメルカド(市場)で朝食を食べていると、雨が突然、激しくなり、スコールが。。。止まない。

台風並で、身動きできず、土砂降りの中歩いて水力発電所に行くメリットはあるのかと!

お金を払って列車に乗りました。

この列車スピードが遅いのです。

スイッチアンドバックを繰り返すので、遅いです。

徒歩2時間少々に対し、列車1時間掛かります。

10kmくらいなのに。。。12ドル(乗る便により値段が上がる)。。。

この雨のため、仕方ないのかな。

まぁ、行きと違う景色が見れたのでよしとしましょう。

14時前には、水力発電所に着いたのです。すると、見覚えのあるカップルが居たのです。

彼らも、この日クスコに戻るみたいで、2時間掛けて歩いてきたみたいです。

が、彼らは、困っていたようで、信じられない一言を僕らに教えてくれました。


『橋が壊れて帰れないよ。』


『えっ』


乗客たちは、ぞろぞろと歩いて進んでいるのに。。。

半信半疑のまま、歩いていると

さっきの人たちが引き返してくるのです。

『道がない。。。』

自分の目で確かめるため進むとそこは。。。




寸断です。

ニュースでしか見たことのない光景。

チラッと、対岸に送迎バスが待機しているのが見えます。

何をどーすればいいのかさっぱり。

朝の豪雨のせいでしょう。

それにしても、鉄道会社は、把握してなかったのか!

この連絡網のなさ、チケット買うときに、教えてくれたらいいのに。。。

どれくらいで復旧するのでしょう?

みんなは村に戻るのでしょうか?

正規の道で70ドルくらい払ってればこんな事にはならないのでしょうが。。。

貧乏バックパッカーには辛いのです。

警官に聞くと、ここから30分くらい上流に橋があるって。。。


じゃ行こうか。


としか、思わなかったのですが、これが、運命の分かれ道。

テクテク歩く。


確かに橋。


そこから、ひたすら登り。。。

のぼる、ノボル、登る。


何人か、現地人であろうおじいちゃんおばあちゃんも登ってきて少し安心。

ひたすら登る。

途中、分かれ道があったり、また、違う人が登ってきて、一緒に進むのです。

なんなんでしょう、この感じ。

徐々に、一体感が生まれてきました。

さらに、ロシア人も登って来ました。

幾度となく、休憩をし、登ったら、遺跡がありました。



みんなで休憩。


グレープフルーツを持っていたので、すっぱさをかみしめて次に進みます。

旧道です。

昔の人たちが、歩いたであろう道を何故か歩いているのです。

知らずに、インカトレッキングしているのでした。



村はまだ見えません。



登りは済んで、横に進みます。

進んでいると。。。


またしても、寸断です。

いつ崩れてもおかしくない所を勇気を出し、

みんなで、協力して渡るのでした。


そして辺りが暗くなってきます。

でも、歩きます。

日が暮れて、

ふと、

光が輝くのです。

遠くに輝く光が、目の前で見え、消えるのでした。

そう、ホタルです。

まさかとは思いますが、歓迎されてる気がしました。笑

インカの人々はどんな感覚でホタルを見ていたのでしょうか?

とても興味深いです。が、今は歩かなければ。。。

歩いていると、向こうから、光が。

今度はライトの光。

なんと、娘の帰りを心配したお父さんとお母さんが歩いて来たのでした。

もう、村は近いそうです。

お父さんを先頭に、進みます。

これはもう、ドラゴンクエストの冒険そのままで、テンション上がってしまいました。

そして明かりが見えはじめ、ポツポツ家が見えはじめコーヒー畑を横切ったりしたりし、

とうとう道路に出たのです。

平坦な道にどれほど感動したか忘れません。


時間の経過がまったくわかりませんでしたが、どうやら6~7時間歩いたようです。

ところで、お母さんが、あなた達はどうするのと聞いているようで、

村に宿はないみたいで心配してくれて泊まっていいわよと優しい言葉が。

ありがたく、泊まらせてもらうことにしました。

お母さんにミニマーケットへ連れて行ってもらい、インカコーラとパンと缶づめを買いロシア人と食べました。

お母さんに片言ながらお礼を言っておやすみなさいです。

家では、ベットに布団で寝れたのでした。


                                         ろっぺいた


2013年2月25日月曜日

マチュ

もう、昨日の達成感で一杯です。が、今日がメインです。

アグアスカリエンテの村から、バスで20分ほど登ると、マチュピチュ入り口に到着するのです。

ちなみに、徒歩だと、1時間と少々掛かるらしいです。。結構な登りにジグザグ道。

朝、早くに目が覚めるも、雨が降っていて止まないのでマチュピチュ入り口までバスにしました。

7時くらいに入り口に着き、ゲートでチケットとパスポートを見せ、無事に入場です。

雨は小雨になっていたのに、霧がすごいのです。まったく、先が見えません。

本当に何も見えない状態で、恐るおそる静まり返った石積みの道をゆっくり進んでいきます。

何か、石積みの入り口が見え隠れしていたのですが、




時が止まったかのように、




マタタキとキラメキと




いきなり視界が開き、空中都市といわれるマチュピチュの全容が見えたのです。





その時の胸の高鳴りは、




マチュピチュの芯を見たような錯覚に陥り、




向こうの山々に、風に吹かれ、遠近感が吸い込まれ、




本当に空中に浮いている都市でした。









言葉では、わからないけれど、この場に居る全身の感覚で感じ、心地よかったです。




くっきり、はっきり見えるようになり、探検です。




遺跡はとても、広く、いろんな角度から見れます。

石積みの段々畑なので、段差がたくさん、登ったり降りたり、しんどいのですが、

リャマ達が、放し飼いされているので、タイミングが合えば、簡単に遭遇できます。




そして、遺跡の向かいにどーんとそびえる山ワイナピチュに向かいます。

どうせ、来たのなら、登らないわけはいけないと、セットのチケットを買っていたので、10時頃入場。


これが、しんどかった。崖に等しい道を登り、落っこちないよう必死に登るのです。


 



中には、70代後半のおじいさんとおばあさんも登っていて、圧倒されました。

ワイナピチュの上から見下ろすマチュピチュは、とても、小さく見えるのですが、

眺めよりも、登ってやった感の方が強かったです。

天候にも恵まれ、ヘロヘロになりながら、降り、まだ見てない所から、眺めるため、歩き。

休憩を繰り返し、いつの間にか、夕方になり、閉門時間になり、名残惜しむように遺跡を後にしました。

帰りは、バス代を惜しむため、歩いて村まで帰りました。

あっちにこっちに、歩き続けた足に最後の力を振り絞り下ったのです。

帰ってからのインカコーラとビールは、それはそれは、とてもおいしかったのです。


ろっぺいた


2013年2月24日日曜日

マチュピチュへの道のり2

前日の寝不足と、不安と希望を胸に日曜日、ローカルバスターミナルに向かいます。


すると、いつもと変わらない光景であるように、サンタマリア行きの客引きが居たので、なんとか行けるんじゃないかと勝手に安心。



3000m級の峠を越えるので、道はウネウネ。

 
オンボロバスで、何故か座った向かい側のガラスが割れたままで、風がビュービュー峠で冷たい風が僕らに当たりながら気持ち悪くなるけど我慢するしかないです。

サンタマリアに着くと、ぐっと標高が下がるので、蒸し暑い感じになります。

乗り合いTAXIがイドロエレクトロと呼び込み中で水力発電まで向かうみたい。外人カップルと乗り合い向かいます。。。

さっきのウネウネ道にやられて、フラフラで、でも、我慢するしかないです。



道は、舗装されておらず、埃を巻き上げながら、崖みたいな道を進むのでした。



で、最後に大きな橋を渡り無事に水力発電所まで着いたのです。

ここで何故か、パスポートチェックをするのです。



記入を済まし、歩いて行くと、線路が見え、疲れ果てたであろう外人達が休憩しているのでした。

きっと、徒歩でアグアスカリエンテから下って来たのでしょう。帰りのツアーバス待ちのようでした。

それを横目に、僕らは歩いて、アグアスカリエンテを目指すのです。

マチュピチュとその周りが、実は国立公園で、しかも熱帯雨林で線路沿いを歩くだけですが、見たことのない植物、景色、さえずりと、川のせせらぎ(っと言いたいところですが濁流です)にとても驚きました。







休憩を挟み、歩き続け、最後の力を出し、一歩一歩進み、無事、日本の温泉地みたいなアグアスカリエンテに到着したのでした~。


                                              ろっぺいた


2013年2月23日土曜日

マチュピチュへの道のり

マチュピチュ。。。

簡単に行けるようで、たくさんの方法がありすぎる道のり

その一 

列車に乗るだけ。

あまりにもベーシックなのだけど、金額が高すぎる。。。。なぜかわからないのに、片道で60$とか。。。
クスコからといいたいけれど、雨季で線路が崩れてダイレクトではなく、途中の駅オリャンタイボまで、車かバスで行かなければならない。。。

その二 

ツアー会社が企画する、二泊三日ジャングルツアー(とゆう名の、自転車で峠を下るので、ラパスのデスロードに似ているような。。。)やインカトレッキングツアーで三日、四日掛けてマチュピチュ村に向かう方法(インカの昔の道をひたすら歩いて向かうインカトレッキングは、なにかがあって、2月一杯は中止らしい。そして、ガイドを必ず雇わないといけないのでこれもべらぼうに金額が高い。。。)

その三 

一番安く行く方法は、一日を掛けてローカルバスに揺られ、サンタマリア、サンタテレサ、水力発電所と、2回ほど、乗換えをしながら曲がりくねった道を遠回りし崖みたいな所を平気で進む。(これまたデスロードに似ているような。。。これで8時間くらい)

水力発電所からは、線路を2時間ほど歩くと、マチュピチュ村と呼ばれるアグアスカリエンテに到着するのです。

ちなみに、水力発電所からも、列車に乗れるけれど、18$とかして、お金を節約したいバックパッカーは、歩くのです。

僕たちが選択したのはできる限り安く行く方法を選びました。

実は、旅行会社でも、水力発電所までの送迎バスチケットが売っていて、安そうな所で購入しました。。。

土曜日、泥棒市とか、のんびり観光して、夜、宿に帰ろうとすると、一人の人が声を掛けて来ました。。。

旅行会社の人で、僕たちを探していたらしい。そして一言。

『明日の送迎はキャンセルになった』と、



ちょっと待ってくれ、

こっちは今、ATMにクレジットカード吸い込まれたばかりでアタフタした対処中になんだと!



そう、噂には聞いていたけれど、とある銀行のATMにあっさりと吸い込まれたのです。



一回でお金が引き下ろせない事がよくあり、何回か操作していた矢先。何回も見たエラーのあと、カードが出て来ないのです。



えっっと。。。



隣のペルー人が携帯で電話してくれるも、土曜だから、銀行側は対処してくれず、月曜になると!



月曜はマチュピチュに登ってるはずなの。。。



カードを止めるかの連絡とか。。。そんな状況でのダブルアクシデント。。。



マチュピチュ入場チケットは、一日の入場人数が決まっていて、何日にマチュピチュに行くのかも指定しなければならないモノで、もう自力で購入していたので、翌日には最寄の村、アグアスカリエンテに行かなければならない状況。。。



ナニハトモアレ、キャンセルの理由は、道が壊れたらしい、詳しい話を聞きに、会社に行く。一通り説明を受けるも、もう22時すぎ。。。列車を勧められる。。。

悶々した中、返金してもらいギリギリ開いている違う旅行会社を探して聞いてみる。

他の会社で確認してみると、平気よ!と、明日出発するよと言われる。ただ、席が一つしかないよ。
とても困る。それぞれの会社判断が、いいのかよくないのかわからない中、とっても、疲れてしまい、何も選ばず。

保留にして当日いける所までローカルバスで向かう事にしたのです。
                                     

                                                 ろっぺいた

2013年2月22日金曜日

古都クスコ


ペルーの一大観光地クスコへ。


南米ついて詳しく知らない方でも、

インカ帝国といえば聞き覚えがあるのではないでしょうか。

クスコはインカ帝国の首都であった都市。

そして、マチュピチュ観光の基点にもなる町です。






ここで少し、インカのイントロダクションを。

紀元前1000年ごろ、アンデスで文明が誕生し、

後を追うように各地でさまざまな文明や王国が華開きます。

13世紀末、クスコ盆地の1部族であったインカ族が

約50年ほどで、北はコロンビア、南はチリにわたる約4000kmにおよぶ

広大な土地を統治し、大帝国を創ります。

しかし1532年、財宝を求めやってきたスペイン人に

インカ帝国はもろくもほろぼされ、インカ帝国は幕を閉じるのです。




と、とっても簡単にまとめてしまいましたが、

言いたいのは、

インカ帝国はアンデス文明の集大成であったということ、

そんなインカ帝国がスペインの侵略を受け植民地とならざるおえず、

独特で類を見ない世界観をもち、2千5百年もの長い年月で培われた知識や技術も

閉ざされてしまったということ。




インカの逸話を聞けば聞くほど、

インカが滅ぼされなかったら南米はどんなに面白く発展していたんだろうと考えてしまいますが、

きっとそれはそれで別の争いや辛い歴史が創られたのだろうな、とも考えられたり。

それでもやはり、

インカ帝国、ロマンのある話なんです。



熱弁をふるってしまい、失礼しました。

リャマのかわいいお尻でお許しください。








話はクスコに戻りまして、

インカの首都クスコ、今は大観光地。

中心地はインカの石造りの上に立てられた、コロニアルな建築がきれいに整備され残っています。

町を歩くだけで、ヨーロッパに居るかのよう。





洗練された飲食店や高級ブティックが並び、気立てのよい町並みが続きます。

かと思えば、少し中心をはなれると埃っぽくてごちゃごちゃとした町もあり、

クスコ市内、郊外には沢山のインカやそれ以前の遺跡がたくさん点在していたりと、

なかなか興味深いクスコ。



早足の私たちでも気がつけば、マチュピチュ試練も含め、10日近くクスコに滞在していました。



街歩き、食べ歩き、








突然子羊を渡され、写真とチップを強制されたり、






石探しをしてみたり、





クスコにもあったドロボウ市をひやかしに行ったり、





博物館や遺跡に足を伸ばしたり。








なかでも面白かった場所を紹介します。


クスコ郊外にある、モライとマラスの塩田。







マラスは、インカ時代に農業試験が行われていた場所です。









アンデス原産で、アンデス文明において重要な食物であったジャガイモやトウモロコシを育て、

農業生産率を上げるべく、研究を行っていたと言われています。

中を歩いてみると、思っていた以上に巨大。石造りの段々畑も精巧で圧倒されます。









こちらはマラスの塩田。









インカ以前から続く塩田で、乾季にはこの棚田に真っ白に塩だけ残り干上がります。

流れている水は近くで湧いている温泉で、塩分を多く含むため、塩田ができるのだそう。

いまは雨季で茶色いのですが、それでもこの突然山の中に広がる奇妙な棚田に驚きました。






そして、

クスコといえば、

マチュピチュですね~

少し思い返しただけでも、長く険しい試練だったように思えます。



では、マチュピチュ編は六平太くんへバトンタッチします~



2013年2月21日木曜日

海のような湖をこえて









ボリビア、ラ・パスから国境を越えペルーにやって来ました。

今回の国境は、ボリビアとペルーにまたがっているティティカカ湖という大きな湖です。

その湖の中にあるコパカパーナの町で出入国の審査をすませ、

ペルー側の湖畔の町プーノに着きました。







このティティカカ湖、面積は琵琶湖の12倍ととっても大きく、

アンデス山脈にあり、海抜は3890mで富士山よりも高い位置にあります。

日本一をふたつも超えてますね。









船で湖に出ると、瀬戸内海をフェリーで渡っているかのよう。

でもさすが高地。

湖面と雲がとっても近い。




プーノからティティカカ湖に浮かぶ島へツアーで行って来ました。

はじめは、トトラと呼ばれる水生植物を積み重ねた、まさしく『浮き島』ウロス島。




 
 
 
 




島の人たちは歌の歓迎で出迎えてくれ、

トトラでできたお宅をのぞいたり、

トトラ製の舟バルサで湖に浮かんでみたり。

のんびりインディヘナワールド遊園地に遊びにいったかのようで、おもしろかったです。












もう1つ訪れたのは、タキーレ島という小さな島でした。

いまだに昔のままの生活を続け、

独特な織物を織り続けています。






島はとってものどか。

段々畑にはじゃがいもの花が咲き、牛やひつじはのんびり草をほおばり、

島民は織物を織ったり、荷を背負い歩いています。




 
 
 










織物はとってもすばらしかった!

緻密で、色鮮やかで、印象的なデザインがたくさんありました。







自給自足、物々交換の生活が続けられている

このコミニティーだからこそ、のどかでおだやかな島のままでいられるのでしょうね。