2013年5月18日土曜日

帰途。







帰国当日。

予定どおり宿を出たのに、空港までのバスを乗りまちがえて

1時間シティをバスドライブ。

幸い余裕をもった時間だったので、遅れることなく空港にたどりつき、

チェックインを済ましました。




バックパックの重さは、預け荷物の制限ぎりぎり、22.7kgでひと安心。

高校のときの登山部でもこんな重さは背負わなかったんじゃないかと思いだして、

笑えました。




何ごともなくメキシコを出国して、フランス行きの飛行機に乗り込み、

11時間のフライトでパリに到着。

5ヶ月ぶりのシャルルドゴール空港で、とびびかうフランス語の嵐に

フランスで過ごしたことが懐かしく思えます。




ここで、23時間のトランジット。

街に繰りだすことも考えましたが、元気もないし、

物価の違いにおどろいて、空港で過ごすことに。



久しぶりに食べたフランスのバケットの頑な歯ごたえと味わいに、

あぁこんな味だった!と思い出してふたりで笑いました。

そういえば、アルゼンチンやボリビアのパンがあまりにおいしくなくて、

エクアドルでクオリティが上がったことに喜んだなあ。




寝床を探したり、散歩したりで、近代的でクールなターミナルをうろうろ。

チョコレートを買いに、余分に出入国スタンプを押してもらったりなんかしてたら、

さして眠れませんでしたが、時間は過ぎてゆきました。




パリをはなれた飛行機は、少し時間が遅れたものの、

滞りなく私たちを大阪へ運んでくれました。



心配だったでしょうが、日本で待ってくれていた両親に再会。

感動の再会!

とはいかず、すんなりと、

「おかえり~」「ただいま~」。

さっぱりした再会ですが、これが私たち親子の会話だと思い出し、心地よかった。





高速道路を走り、ぶじ、実家の蒜山に帰ってきました。




2013年5月15日水曜日

さいごの地とうたつー!


とうとうメキシコの首都・メキシコシティにたどり着きました。

ここが旅のさいごの街。





メキシコシティは世界でも有数の大都市。

しかしただの都会と思うなかれ、

街のなかや郊外に大きな遺跡があったり、

世界に知れわたる巨匠とよばれる芸術家も多く出ていたりで、

興味深いみどころがぎゅーっと詰まっています。





 


都会のきらきらもあり、メキシコらしいごちゃごちゃもあわせ持っている

おもしろい街。

そうなれば、もう、毎日あっちやこっちを見てまわらないといけませんね。

さいごですし。







 
 
 





旅に出てから、日本人の旅行者のあいだで、伝説的な宿が世界にいくつかあると知りました。

メキシコシティにある『ぺんしょんあみーご』がそのひとつ。





日本人宿という言葉を聞いたことがない方もおられるでしょうから、

補足しておきます。

世界各地の旅行者があつまる街には、必ずと言っていいほど日本人宿があります。

これは経営されている方が日本人だったり、そうでなかったりするのですが、

泊まりにくる多くは日本人か韓国人。

その中でもあみーごは有名な日本人宿で、これから中南米を旅する人や、

私たちみたいに中南米を去る人の中継地点となっている宿でした。





もちろん集まる旅人は、歳も旅のルートも、し方もそれぞれ。

各々観光したり、街を歩いたり、宿でのんびりや絵を描いたり、ヨガしていたり。

ご飯をシェアしたり、夜な夜な遅くまで杯を交わしたり。







この5ヶ月、あちっやこっちをかけあしで廻り、

ふたりだけで過ごす時間が圧倒的に多くて、

ほかの人とゆっくり話をすることはあまりありませんでした。

もともと日本語以外は点でだめですし、シャイな性格ですし。





ところが、あみーごはさすが人間交差点。

おもしろい人が集まってくるんですね。

毎晩のように遅くまで酒盛りを楽しみました。

日本に帰るまえのちょっとしたリハビリです。笑





さて、楽しんでばかりじゃいられません。

最大の難関?パッキングにとりかかりました。

もう旅も終盤ってことであれやこれや増えに増えた荷物を詰めなおし。

帰国当日の真夜2時までかかって、なんとか持ち歩ける状態に。

はてさて、これで飛行機に乗れるのか心配ですが、

日本に帰る準備はととのいました。




2013年5月14日火曜日

メキシコですけぼー

メキシコに着いてーいい予感。


スケボー持ってる人がどこにでも居る。



有名な日本人宿『ぺんしょん あみーご』に泊まったら、スケーターが泊まっていました。

スケボーが3個もあって!

誰なんだろうとキョロキョロ探してしまいました笑



大都市メコシコシティーで、一つ屋根の下知り合った

トモキ君

スージー君

ケン君

みんな、それぞれに違う考えで、オモシロい。

4年住んで居るとか、メキシコに来てからスケボー始めたとか、これからサンフランシスコに向かうとか、話は尽きません。

2号線メトロNormal駅出てすぐ高架下にパークがあって、連れて行ってもらいました。

24時間滑りたい放題です。



いつでも、たくさんのスケーター、BMX、インラインと、子どもから大人まで居ます。

みんな一生懸命遊んでいます。

鈍った体をたくさん動かしました。が、

息がしんどい!

実は、メキシコシティー標高2240mで、エクアドルのキトと同じくらい高地。。。

二日酔いも手伝ってヘロヘロでも頑張るー。


三角を見ると興奮してしまうー。


極上スポット~。


スケボーショップもあり、メキシコローカルブランドもあるらしい


なぜか、サイン入り(誰なのかさっぱり)ローカルDVD


何件もあり、室内パーク併設のショップまでも



いきたい所がおおすぎて、時間が足りません。

そして、やっとみんなで日曜の夜にスケボー。

メトロに乗り、街の中心地ソカロでスケボーしようとしたら、

誰かわからないけれどとてつもなくデッカイライブがあって、人混みー

警察がたくさん居るのですが、僕らのスケボーは注意されません苦笑


警備で忙しいのでしょう。

みんなで滑るとなんでも楽しいんです。

ローカルの子も何人か居て、それぞれが、それぞれに励んで、

あっという間に時間は過ぎます。

帰り道はプッシュで宿に帰ります。

ナイトクルージング。

いい汗かいたなー。

コンビニでビールを買い込み、

深夜の乾杯です。

スケーター話に花が咲き宴は続き、

酒がなくなり、また買出しに行き、

気付けばテキーラ。。。

日本酒のように、うまいのがあるんです。

これに一番驚きました。

誰も、止めません。自分のペースで呑むか呑まないか、決めるだけ。

3時4時まで、語っていましたね。

もちろん次の日は、グッタリ二日酔いでした。

なんなんだろう、この最後のタイミングで日本人スケーターに出会うなんてビックリで

でも、とても忘れられない思い出になったなー。



みんなありがとう。

日本のどこかでまた会いましょう~。


                                               ろっぺいた


2013年5月9日木曜日

さんくり


サンクリにつくと熱はすっかりさがってました。

なんだったんでしょう。

それ以降もなにかの感染症にかかったようすもなく、ほんとパレンケで突然の発熱でした。






さて、サンクリはメキシコ南部の先住民のおおい地域の小さな町でした。

ついてみると噂どおり、かわいい民芸品があちらこちらにたくさん!

そしてこれまた、いい感じにしゃれた品やレストランもあるときた。

グアテマラのアンティグアに続き、お買い物ざんまいな予感。













こうやって地元の人がごった返したメルカド(市場)を歩くのも、もう最後かもしれないと思うと、

いつもは鼻をつまみたい衝動にかられるはずが、

どんなに汚い通りも、すごくグロテスクな肉のかたまりも、

いとおしく思えてしまうから不思議。







サンクリから少しはなれた村に、独特な教会があるときいていってみました。

そこは十字架やキリストを奉ってはいますが、一般的なカトリックの教会とは違い、

教会の中はすすで黒ずみ、床には松の葉がしきつめられ、

たくさんの灯されたロウソクとコーラが供えられます。

人々は床に座り民族の言葉で熱心に祈りをささげていました。




ここは植民地となりカトリックを強いられた先住民が、じぶんたちの宗教となんとか融合させ

このようなかたちになったのだそう。





ほの暗い教会の中、ゆらゆらゆれるロウの明かりと呪文のような唄のようなその祈りの声に

はじめは少し怖かったのですが、しだいに落ち着き、

さいごには温かみと安らぎまで感じました。







これまでの中南米でもそうでしたが、先住民の多い地域はほかに比べ貧しいことがほとんどでした。

植民地時代から差別や貧富の差が生まれ、それが今も続いている。

その地に生まれずっと生活してきた先住民たちが、

どんな気もちで植民地の時代を生きぬき、今も共存しているのか。

私なんぞにははかり知れない苦悩があるのでしょう。





この町をはなれる直前、ふたりで思いたって散発しました。

髪も気分も少しすっきりしました。


2013年5月5日日曜日

パレンケ

さてさて、パレンケに夕方には到着したのですが。。。

右に左にタコス屋さんがありー、

小さい町なのに、コンビニがありー、

中米な雰囲気がしないのです。

メキシコは、中米なのか、北米なのか?そんな疑問は置いておいて、

マイコの調子があまり良くない様子。

連日の、移動に観光に、また移動で、疲れがたまったのかな。

おでこに手をかざすと、

熱い。

原因不明の熱です。

宿を取った後は、部屋でお留守番。

タコスをテイクアウトし薬を呑んで寝るのみ。

翌日、まだしんどいためマイコはお休み

ひとりで、パレンケルイナス遺跡へ

 

でっかいって魅力がありますね。






ティカル遺跡は広大な敷地でジャングルみたいでしたが、ここパレンケルイナスは小さくまとまっていました。

散歩が気持ちよかったー。

昼前には、宿に戻ってきて、マイコの体調を確認。薬のおかげで、かなりよくなったみたい。



14時のバスでサンクリと呼ばれる、サン・クリストバル・デ・ラスカサスへ出発するのです。

峠道で、酔いながらもサンクリに到着。

宿を調べてなく、歩いて中心を目指している最中、困って口げんか笑

ふとしたとき、ツーリストみたいな外人青年に声を掛けられ、宿を紹介してくれるようで、

そこに転がりこんで一件落着。

ろっぺいた

2013年5月4日土曜日

さいごの国境ごえ


グアテマラのフローレスからメキシコのパレンケへ。

これがこの旅さいごの国境です。






今回はツアーバスという方法で、町から町へバンに乗せてもらって越えました。

まだ夜が明けきらぬうちに眠たい目をこすってバンに乗りこみ、

気がつくと乾燥して荒れた地を走っていました。



 

しばらく走って着いたグアテマラのイミグレーションはとってもいい感じ。

ただただ、のんびりした雰囲気。

入り口のまえにはニワトリのひながピヨピヨ、犬がごろんと横になって迎えてくれます。

カウンターの奥はすぐ外で、荒野がつづいていて、それをながめながら食事をとるテーブルとイス。

ちょうどお昼時だったので、昼食の準備をみんなでしているいるよう。

スタッフも笑顔のかわいいフレンドリーな女性で、私の名前Maikoをみて

「マイケル・ジャクソン!」なんてギャグをとばしてくれました。

こんな雰囲気で仕事ができる人間になりたいと思いました。






今回は河が国境ですが橋がないのか、

ボートで渡りしばらく河をくだって近くの村まで向かいました。










中米ではとくにパスポートにポンポンスタンプが増えていって、

国境を越えるのはずいぶん慣れてしまったなあと思っていたのですが、

これが最後かあと考えると、これまでのページを見かえしたりして

しみじみした気もちになるのですね。







遺跡とみずうみ



リアルタイムでは、フランスなうです。

5/15にメキシコのメキシコシティからフランス・パリへ向け飛び立ち、

ぶじに第一関門とっぱししました。

ここで第二関門の23時間トランジットに突入したところです。

この間に、遅れをとっているブログを更新していきたいと思います!




それでは旅の話へ。






メキシコ南東部からグアテマラ、ホンジュラスにわたって、かつてマヤ文明が栄え、

数多くの遺跡がのこっています。

そのなかでもっとも代表的といわれている、グアテマラのティカル遺跡を訪れました。




早朝にバスにゆられ、まだほの暗いジャングルを歩き、神殿に登り、

朝日をのぞみます。

 

 
 
 


月明かりをたよりに森を歩いたのも、

ずーっと向こうにつづく朝もやによどむ木々を眺めたのも、

初めてで、清々しかったです。

遺跡やジャングルに差し込む朝日もきれいだったなあ。









ジャングルにはたくさんの動物がいます。

さまざまな鳥の鳴き声にまざって、

歩いていると森の奥に最強最悪の猛獣でもいるんじゃないかと心配になるようなおたけびや、

だれか宇宙と交信しているとしか思えないような声が聞こえてきました。

オウムやサルや、七面鳥や、タランチュラもお目にかかれ、

愉快な遺跡探検ができました。











 

このティカル遺跡の基点となる町はフローレスといって、

湖のそばの町でした。






そこに泊まってティカルへ向かったのですが、そのフローレスもお気に入りでした。

湖は澄んでいて、穏やかで、眺めるのも泳ぐのもどちらもよかった。

この地方はまだ雨季ではない様子で、毎日たいようがサンサン。

暑くてあつくて、夕方になると地元の人たちにまざって湖に跳びこんでいました。




フローレスはザ・観光地な町で、レストランやホテルが並ぶのですが、

1歩とおりを外れると、のんびりした田舎な様子が残っているのも好きでした。





やっぱり、私はきらきらした大都会よりのんびりしている田舎のほうが好きです。